沿線の街と街をつなぐ“ママさんサービス・プロバイダー”として走り続ける 運輸部高津営業所 岡崎直子
沿線の街と街をつなぐ“ママさんサービス・プロバイダー”として走り続ける 運輸部高津営業所 岡崎直子

幼い頃からの
憧れのバス乗務員へ

1998年4月、東急トランセは十数名の女性乗務員のみが在籍するという、業界の中でも非常に先進的な会社としてスタートを切りました。私が2000年に入社した当時も、下馬営業所には20名程の女性乗務員が在籍し、更に毎月新しい女性乗務員が採用されるといったように、「女性活躍」を世に先駆けて行っていました。
父が大型車を運転する仕事に従事していたこともあり、私の幼い頃の夢は「大きな車に乗る仕事がしたい」ということでした。高校卒業後は設備メンテナンスの会社で営業事務の仕事に携わっていましたが、大人になって尚その夢を持ち続けていたことと、通勤時に度々目にしていた代官山循環線のミニバスに憧れていたことも手伝い、23歳で東急トランセへの転職を決意。晴れて「大きな車に乗る仕事」という夢を実現させました。養成制度を活用して大型二種免許を取得し、以来15年間にわたり東急トランセのサービス・プロバイダーとして公共交通を支えています。
現在、私は高津営業所で東急田園都市線の宮崎台駅と鷺沼駅を結ぶ路線を担当しています。住宅街を走る路線なので、自動車に加えて歩行者や自転車の交通量も非常に多く、安全確認には細心の注意を払って運行しています。公園付近では、子どもがボールを追いかけて急に飛び出してきたり、横断歩道を高齢者がおぼつかない足取りで歩いていたりと、思わぬ危険に「ヒヤリ」とすることもあるため、その都度「安全・安心第一」という初心に立ち返ることを心掛けています。

仕事と子育ての
両立ができる環境がある

入社8年目となる2007年に同じ営業所の同僚と職場結婚をし、現在は7歳と2歳の子どもをもつ母親として、仕事と家庭の両立に努めています。実は、結婚当初は「子どもを授かったら、きっと退職しなければならないのだろうな」と考えていました。当時、東急トランセは設立から十年程しか経過していなかったこともあり、出産・育児休暇を取得し復帰した乗務員の前例がなく、育児をしながら働くということに自信を持つことができない実状があったのです。
しかし、そんな胸の内を先輩に相談したところ、「絶対に休暇制度を利用して、仕事に復帰した方が良い」と背中を押してくれました。そのお陰で、1人目の出産の際に出産・育児休暇を取得し、制度を活用して復帰した初めての女性乗務員となりました。復帰にあたっては「長い間バスを運転していないので、感覚が鈍っていないだろうか」という一抹の不安がありましたが、数日間の教習をしっかり実施してもらえたこともあり、スムーズに復帰することができました。
子どもが熱を出したり、保育園のお迎えなどによりシフトの調整をお願いしなければならないときも、同僚たちがとても協力的なので助かっています。育児をしながら働く女性のための制度が整っていることはもとより、営業所の仲間たちの理解と協力が非常に大きいので制度を実際に利用しやすく、近年では出産・育児休暇の取得実績が増えてきました。子育てをしながらでも充分に働いていけるという意識が更に女性乗務員の中に根付いていけば、今後一層女性が働きやすい環境が整っていくはずです。これから入社する女性乗務員たちのロールモデルとなれるよう、今後も「ママさんサービス・プロバイダー」として働き続けたいと考えています。

COLUMNお客さまは見ていてくれる
以前、運賃機の操作を誤ってお客さまにご迷惑をお掛けしたことがありました。お客さまにはその場でお詫びをして事なきを得ましたが、申し訳ない思いで乗務をしていました。ところが、そのお客さまが降車する際、わざわざ運転席までお越しになって、私に「いつも頑張っているね、ありがとう」と声を掛けてくださったのです。私は今、同じ時間帯に同じ路線を乗務することが多いので、私のことを憶えてくださっていたのかなと思います。私の誤りでご迷惑をお掛けしたにも関わらず、このような温かいお言葉をいただけたことは、非常に嬉しく忘れることはできません。この仕事を続けていて本当に良かったと実感しました。

運輸部高津営業所

岡崎直子NAOKO OKAZAKI

東急線沿線である三軒茶屋の出身。2014年に、入社以来長年勤めた下馬営業所から高津営業所に異動となった。当初は新たな環境に馴染めるかどうか不安だったが、すぐに新たな同僚と打ち解け、今では山歩きが好きなことから「山ガール」という愛称で親しまれている。2015年に娘が保育園を卒園したが、卒園式で「お母さんのようなバスの運転手になりたい」と将来の夢を語るのを聞いて感激したという。

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